室町時代から「海のシルクロード」を渡って日本に運ばれ始めた更紗は、そのめずらしさと強烈な個性で人々の心を魅了しました。とはいえはじめは一般の人々の手の届くものではなく、南蛮渡来の舶来品として一部の上流階級が愛用したり、茶人の間で「名物裂」として珍重されたとのことです。
日本国内で更紗が作られ始めたのは、木綿の栽培、普及が始まった江戸時代のことでした。はじめはインド更紗やジャワ更紗が模倣されましたが、しだいに日本独自の模様や構成が取り入れられ、日本風の変化を遂げていきました。その過程で友禅の技術を触発したとも言われています。
面白いことに、いかに和風に変化しても、更紗の“更紗らしさ”は引き継がれ、どことない「異国情緒」を感じさせるものになっています。空間や間を重んじる日本の美的感覚に対して、更紗は「過剰の美」とも言えるほど色彩豊かに模様を埋め尽くします。またそれが所以に着物地としてはなかなかおさまらず、しばらくは男性の下着や小物として用いられるのみで、戦後になってようやく絹地の女性用の高級着尺として流行するようになりました。
以下に、現在も残る日本各地の更紗をいくつかご紹介します。
九州の天草(長崎)で江戸時代の文政年間に生まれた更紗。伊勢型紙を使用した捺染が特徴。
鍋島藩の保護を受けながら発達した更紗。木版と型紙を併用した捺染が特徴。明治時代に一時途絶えたが、現在また復興されている。
京友禅のような華やかな更紗。型紙を使って捺染される。
30枚以上の多数の型紙を使って染められる東京の更紗。本来の更紗の雰囲気を強く残している。