インドに発祥した更紗は、東へ西へ、海のシルクロードにのって世界へと広がりました。
日本でも「バティック」の名でよく知られるジャワ更紗は11〜12世紀ごろインドから伝わったといわれています。バティックとは蝋染めのことで、ジャワ更紗独特の「チャンチン」というという銅製のツボの様な道具を使って蝋を細くたらして染めるのが特色となっています。現在では民芸産業として全島をあげて作られ、化学染料の型染めがほとんどだといわれています。
模様は植物、動物、人像など、世界最高の多様さを誇っています。主体はらせん状に連続文様を配置したもので、植物の葉や蛇、刀、自然風物などを幾何学文様に染め上げています。
シャム(=現在のタイ)の更紗は、実際にはシャムで作られたものは少なく、ほとんどがシャムで考案した図案をインドへ注文して染めたものだとされています。仏教思想にかかわる柄が多く、宝珠形の花文や霊獣、菩薩文、霊鳥などが主題にとられ、日本へ伝えられた際にも同じ仏教文化の親近感から喜ばれたそうです。。
日本で「花布」、「印花布」などと呼ばれる中国更紗は、技法はインド更紗と同じながら、精緻な文様は中国独特の雰囲気を持ち、非常に洗練された流れるような手書きのタッチの文様はその伝統の深さを感じさせます。日本にはオランダ船によって運ばれました。
室町・江戸時代に「海のシルクロード」によって運ばれた更紗ははじめ”南蛮渡来の舶来品”として珍重されましたが、しだいに日本独自の「和更紗」が作られるようになりました。その文様も日本的に変化し、独自の構成も生まれましたが、更紗特有の「異国情緒」は今なお残されています。
紀元6,7世紀に美術工芸の非常に栄えたペルシャでは、紀元前2千年ごろから更紗も染められ始めていました。世界的に優れた絨毯、刺繍の技術をもつペルシャの更紗は美しく、優れたものが多いとされています。技法はインド更紗とまったく同じで、文様も似通ったものが多いのですが、ペルシャ風の文様も多く見られ、ヨーロッパの影響を受けてバラ、チューリップ、ヒヤシンスなどの洋花も多用されています。
アジア各国の更紗を船で持ち帰ったオランダは、それぞれの特徴を混ぜ合わせ、軽快で華やかな絵画風の更紗を生み出しました。色調も淡い中間色を使って明るく染め、小花模様が多いのが特徴となっています。
ロシアでは、機械捺染がいち早く取り入れられました。花鳥文が多く、淡い色調で寒色系を多用したり、点描表現が文様に見られるのが特徴となっています。
イギリスでは更紗は「チンツ」と呼ばれ、バラ、ゆり、なでしこなどの草花を配した美しい花柄模様は、ヨーロッパで大流行しました。現在でも「オールド・イングリッシュ・チンツ」として伝統的な更紗が染められ続けています。
フランスではパリ郊外のジューイ村に住むオペール・カンプがペルシャ更紗から技法を学び、ジューイ更紗を大成しました。牧歌的な図案で室内装飾に歓迎されたというこのジューイ更紗は、フランスの産業としてナポレオンも期待を寄せたのですが、ナポレオンの敗退と共に消滅してしまいました。
近代科学染料を発明し、高度な捺染技術を持っていたドイツでは、プリント文様の用にかわいらしく、色も華やかな更紗が作られました。